浜松YEG会員交流プロジェクト:東日本応援団(報告)

浜松YEG

2011年07月16日 09:16



浜松YEG会長の小野です。いつもありがとうございます!

2011年3月11日の東日本大震災から4ヶ月が経過しましたが、私の回りでは、個人として、地域として、組織として、そして同じ人間として、様々な気持ちで行動をとりました。
こうして振り返ると、思ったよりも多いのですが、実際に現地に行くことができませんでしたので、浜松商工会議所青年部(浜松YEG)で「会員交流プロジェクト:東日本応援団」と称して行くことになったことは前に報告しました。


今日は、実際に浜松YEGの30名が、2011年7月8日(金)から10日(日)の3日間で、宮城県(仙台、塩釜)、岩手県(大船渡)のYEGメンバーと「会員交流」しながら「被災地支援」を行った報告を写真中心にします。



地震の3週間前に日本商工会議所青年部の全国大会が開催された仙台では、懇親会場となった夢メッセは壊滅状態で閉鎖されたままでした。



塩釜YEGの佐藤会長をはじめとするメンバーに案内していただきながら塩釜商工会議所も立ち寄りました。


 
昼食しながら、震災から現在までの心情を語っていただきましたが、やはり仕事する社屋が残れば生活の基盤も早期に戻せるが、そうでない場合には家屋が残っても難しいとのこと。



夜は仙台YEGから片桐副会長をはじめとする8名と交流。東北地方の復興は仙台が核となる、と感じています!



翌日は、早朝から岩手県にバスで向かいました。



その光景にメンバーはただ無言…



マスコミで流れてはいましたが…陸前高田は壊滅状態です…



大船渡では、ボランティア班と支援物資班の2班に分かれて行動!



現地スタッフの指示に従って移動中は緊張感が漂いました…



とにかく安全に、できる範囲のことをしようと、声掛けしました…



本部では、自衛隊が飯盒できる車両で黙々と働いていました…



一方で、支援物資班は、最も被害が大きなエリアのひとつである大船渡市の中心部を視察しましたが、地震まではJR大船渡駅があった場所は、写真のとおり、津波で全てを失い…



駅前の茶屋前商店街という街灯の一部が残るだけで…



人の気配もなく、まるで人口でつくられた映画のロケ地のよう…



そうした光景を後にして、お昼を食べながら、大船渡YEGの鈴木会長をはじめとする8名から報告を聞くことができました。



浜松の伝統工芸でもある「注染(ちゅうせん)」団扇を贈り…



約100名が避難している場所へ移動しました!



続いて、大船渡商工会議所へ、こちらも津波で全壊しました…



物も人影もない会頭室の窓際には「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」の手書きが入った額が置かれており…



「11.3」は、2011年3月または3月11日の意味だとすると…なぜここに置いてあるのだろうか…?



ボランティア班を迎えに行くと、ホワイトボードには現地スタッフが管理していると思われる活動内容が書かれていました…



そして、3日間の「会員交流プロジェクト:東日本応援団」を浜松YEG30名の全員が無事に終えることができたのも、事務局の2人(左)と東海トラベルの田代社長が事前に綿密な連絡をとり、目には見えない調整をしてくれたからに他なりません!ありがとうございます。




最後になりますが、浜松に帰ってきてから、参加者に流したメールを転載します。

会長の小野です。3日間お疲れ様でした。

まずもって田辺副会長、石原委員長をはじめとする会員委員会の綿密な計画性により「会員交流」と「被災地支援」の両面の目的を達成できました。

ありがとうございます!

私は会長(団長)として、さまざまな場面でご挨拶をさせていただく機会に恵まれましたので、補足として、2日目の夜に旅館業界の親友が大船渡から会いに来てくれた話を報告します。

彼は旅館経営者ですが、地震発生時に旅館のマイクロバスと父親の車にガソリンが満タンになっていたそうです。しばらく被災地はガソリン不足の問題を抱えていましたがいろんな人がガソリンを奪うように探しに来たそうです。

経営者は自分と家族だけでなく従業員とお客様を守る視野がないといけません。

彼はもう一度大きな地震が起きたらマイクロを使って避難するしかないと思ったそうで、ガソリンが満タンであること聞かれても、ガソリンは入ってないと言っていたそうです。
 
たまたま家が丘の上だったので、しばらく親戚18名を引き受けていたのですが、最後に父親の兄弟が入院しているから病院に車で迎えに行きたいと泣いて頼またそうです。

その車を使えば往復でガソリンはなくなってしまうことが分かったので悩んだそうです。

そのような私たちには理解できない苦悩と葛藤が、この震災でたくさん起こっていると思います。

彼が最後に言いました「地震発生からは、会う人、会う人が、これで最後かもしれないと感じるようになった…だから今日は少しの時間でも会いたかった…」と。

いま私たちにできることは、数少ないけれども、その小さな積み重ねが、多くの人たちの心を支えることにつながると信じます。

改めて、皆さんの勇気ある行動に感謝いたします。3日間、どうもありがとうございました!


最終日に立ち寄った世界遺産「平泉」でのワンショットですが、みんなの疲れていながらも爽快な笑顔を忘れることができません。



そして、ご協力、ご参加いただいた全ての皆様に心から感謝し、今後の継続的な支援を願ってやみません。


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